彫刻モダン神棚の素材、木曽桧。そのふるさとを訪ねて

木工に関わる人が「付知峡」と聞いて頭に浮かぶのは「木曽桧」。
20年に一度の伊勢神宮の 「式年遷宮」 の御用材として用いられる木曽桧は、
その名の通り木曽の奥地に位置する付知で切出されます。
リンク:式年遷宮とは(伊勢神宮公式サイト)

伊勢神宮の御用材というだけあって、神棚の素材としても格式の高い木曽桧。
当工房の雲型の彫刻神棚「祈り雲」も、この木曽桧で出来たモダン神棚です。
職人から見た木曽桧の魅力は記事、至高の良材を使うで詳しく書かれています。
さて、そんな木曽桧の育つ森とはどんなところなのでしょう。
木曽桧がとれる付知峡
付知の風景です。
ご覧の通り、何の変哲もない田舎の風景です。
でも、こういうのんびりした風景には癒されるほうです。

徒歩の場合は、
電車でJR中津川駅まで行き、そこからバスに乗ること一時間ちょっと。
終点には天然温泉が待ってます。
いい湯につかれます。
町の郊外にあるようなスーパー銭湯とは違い、
田舎の温泉というのは時々貸し切り状態になるのが嬉しいですね!
「はぁ~、いい湯だった」
今回は、日ごろ運動不足という事もあって、
電車とバスで行ってみたのですが、
昔と何にも変わっていない様子。
10年以上前に来たときはは真冬で、とにかく寒かった。
あの時は木曽桧を使ったモダン神棚を作るとは思っていませんでした。
今年も正月が近くなってきました。
正月に向けてそろそろ本腰入れた制作といきましょう。
付知峡の入り口

さて、伊勢神宮の御用材となる木曽桧を見てみたいものですが、
実際には、伊勢神宮の御用材となる木曽桧が育つエリアは、さらに奥地の一般人が入っていけないところにあります。
切出される山のことを「御杣山(みそまやま)」というそうです。
樹齢300年を越える木曽桧の巨木がたくさんあるのがそこ。
随筆家の白洲正子が、何かの雑誌か本で、木曽桧の巨木群がまっすぐにそびえ立つその光景を「ソンソン」という言葉で表現していたのを読んだことがあります。
イメージしやすい表現だと思った記憶があります。
ソンソンとそびえ立つ巨大な木曽桧の森。
どんな景色なのか興味深いものですね。
また、付知峡は熊谷守一の生地でもあります
熊谷守一とは、絵の心得のある方なら知っている、
「仙人」と呼ばれた孤高の画家さんです。
仙人らしいエピソードの一つで、
「これ以上人が来てくれては困る」
と言い文化勲章の内示を辞退した話が有名です。
他にも様々な仙人的エピソードがあり、
その世捨て人っぷりが面白いです。
その熊谷守一も一時期は絵を離れ、
ここ付知峡で、木曽の山から切り出された材木を川に流す仕事に従事していたそうな。
今は伐採された木材はそのままトラックに積まれ運搬されるのでしょうが、
昔は、川を使って丸太のまま下流まで流していました。
下流にたどり着いた丸太は、陸に引き上げられ、
木挽き職人によって建材として使いやすいように板状、棒状に挽かれました。
木挽きとは、のこぎりで丸太を板状に製材することです。
東京にも名古屋にも、大きな都市の運河付近には「木挽町」という地名がありますが、それはこの名残り。
むかし「木挽町」には多くの木挽き職人たちが活躍していたのでしょう。
今はバンドソーなどがありますので、木挽き職人で食べている人はほぼ皆無だと思います。
時代の中で消えていく職業というのはいつの時代でもあるのですね。

伊勢神宮の御用材となる木曽桧は、今も昔も陸路で伊勢まで運ばれます。
途中、犬山や垂井などの神社を巡って、伊勢に向かいます。
「エンヤー、エンヤー」といった独特の掛け声で宮内まで運び込まれる儀式を「御木曳」といい、こうして木曽桧は長い旅を終え伊勢に到着します。
市民が神宮内へ運び入れる、町をあげての行事だそうです。
その出発点となる付知。
興味のある方は一度ぶらっとどうぞ。
空気が澄んでいました。
付知峡の動画。
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