祈り雲の素材は伊勢神宮の御用材としても知られる木曽桧です。
今回、改めてその木曽桧について詳しく書いてみました。
歴史の側面から色々書いてみたのですが、調べていくと、そこには、乱伐と木材資源の枯渇が深く関係していました。森林破壊は現代特有の問題ではなく、余るほど自然があったと思われている、近代以前にもすでにあった問題なんですね。
ただ、現代は破壊の規模が、地球規模で起こっているので深刻なのだと思います。
木曽桧に関する書籍は限られているのですが、それらを自分なりに嚙み砕いてまとめてみました。そのうちの、「日本の原点シリーズ木の文化別冊木曽桧」はかなり古い本なのですが、木曽桧の事を知るうえで最良だと思います。
様々な面で優れていた木曽桧は、貴重な資源であるだけに、大昔から時の権力の影響を受けてきました。そんなことも含めて、木曽桧の歴史に触れてみたいと思います。
伊勢神宮と木曽桧
木曽の森が伊勢神宮の遷宮用の産地に選ばれたのは14世紀ごろと言われています。
伊勢神宮のご神木は、もともと伊勢神宮付近の森(宮域林)から得ていました。
しかし、20年に一度、社殿の他125の社を建て替える式年遷宮に用いられる木材量は膨大で、その量は実に、10,000立方メートル以上。次第に、御用材として十分な太さのある大径木(たいけいぼく)は枯渇し、木曽の地に桧を求めるようになりました。
木曽からの木材搬出は鎌倉時代からすでに始まっていて、当時から良材の採れる地として知られていたようです。
乱伐の加速
それが、戦国時代の頃から始まった築城ブームで伐採の速度に拍車がかかり、豊臣秀吉の時代には、方広寺大仏殿、伏見城などの用材として、次々と伐採が行われ、江戸時代には深刻な状態にまでなりました。そのため徳川家康の頃、木曽を幕府の直轄領とすることで保護するようになりました。
その頃に、今では当たり前の、伐採の跡に植林を行う考えが広まったとされています(それまでは切りっぱなしだった)。
近代以降
明治以降、木曽の森は官有とされ、伊勢神宮の用材を育てる備林が確保されるようになりました。しかしそれも、二度の世界大戦で、乱伐と管理不備が重なり、森が著しく荒廃しました。そのため戦後は、多くの建造物の再建を台湾ヒノキで代用することになりました。現在でも国内の木材調達の根本的な問題解決はされておらず、伊勢神宮も遷宮のたびに用材を集めるのに苦心している事はよく知られています。
ちなみに、一般的に「木曽桧」とされる材は150年以上の天然のものをさし、伊勢神宮の御用材となる木曽桧は、300年を越えた無節のものが使われます。
百年、二百年先を見通した活動
そこで現在、伊勢神宮の背後に広がる森(宮域林)では、200年の計画で桧が育てられているそうです。しかし、始めに植えられた木でさえもまだ100年たっておらず、大径僕となるにはあと100年200年かかり、間に合いません。
また、式年遷宮を行うのは伊勢神宮だけではなく、全国の神社も同様の問題を抱えていて、近年に建てられた木造建築物の桧材には殆どが台湾ヒノキなど輸入材に頼っています。
そんな中・・
このように様々な危機を乗り越えて、何とか伊勢神宮の御用材を納めることができている木曽の森ですが、なんと最近、そんな木曽桧を使っての名古屋城の木造天守閣復元事業が始まろうとしています。
岐阜県の中津川市加子母(裏木曽)産の無節の超一級品がふんだんに使われると聞いたのですが、伊勢神宮の御用材調達の困難を知った後では、少し心配に思えてきますね。。。
まとめ
改めて木曽桧について書いてみたわけですが、「文化」というものについて調べていくと、
結局のところ、その存続を支えているのは、政治家でも資本家でもなく、見えないところで汗水流している名もなき人々である、という事実です。
何世代にも渡って、御用材となる木を見守り続ける杣人(そまびと)や、神宮に献上される熨斗(のし)鮑を素潜りで取ってくる海女さんたち、祭りなどの行事を執り行う地元在住の人々。それらの人々のおかげで、かろうじて伝統的なものや文化は存続しています。
木曽桧を使わせて頂いている祈り雲もまた、そういった人々の存在に支えられている事を忘れないよう心掛けています。
下に、現代に残っている木曽桧の建造物を、備忘録も兼ねて書き出してみました。
もし、お近くにある場合は、散歩のついでに木曽桧の建造物に立ち寄ってみてください。
(神社仏閣系)
寒川神社(神奈川県)
湯島神宮(東京都)
明治神宮神楽殿・雨儀廊(東京都)
伊勢神宮
法隆寺五重塔(奈良県斑鳩)
宮崎県南郷村「西の正倉院」
善光寺大本願納骨堂(長野県長野市)
永平寺接賓(福井県永平寺町)
八柱神社(愛知県豊田市)
(城・橋・その他)
名古屋城天守閣
愛媛県・大洲城 天守閣
錦帯橋(山口県岩国市)
木曽の大橋(長野県塩尻市)
上高地ビジターセンター(南安曇郡安曇村)