現代の"祈り"と"癒し"について


最近、祈り雲を設置なさった方から、「心穏やかになる」「幸せな気持ちになる」といった感想をレビューやメールで頂くことが増えてきました。

といっても、祈り雲が幸運を呼ぶ、という怪しい話をしたいのではありません。

これは、祈り雲の設置をきっかけにして、生活の中で感謝するひと時が日常化したから、という風に捉えています。

宗教儀礼としての祈りにどれほど深い意味があるのか分かりませんが、神棚作りというものに長く関わる中で、お客さんの声を聴いたり、色々と学んでいくと、"祈り"と"癒し"には何らかの関係があるように思える事があります。
そこで、確かに言える事は、手を合わせ感謝することで、謙虚な気持ちになる、という事です。

現代の日本は、経済、労働、教育あらゆる場面で問題を抱えています。
雇用環境も不安定で、社会が殺伐とする中、
それぞれの置かれた立場によっては、日々戦いの中にいるような状況の人もいると思います。

そんな戦いの中では一見、謙虚に振舞っていても、それは多くの場合、社会の中でアドバンテージを得るためにそうしているのであって、戦いの一端です。
必要に迫られての感謝、笑顔。心のない感謝、笑顔。
当たり前すぎて問題にもしなくなった今の日本社会で生き抜くためのそれらの事は、鎧のように自分を守ってくれますが、常に緊張を強いられます。

そんな張り詰めた日常に一旦、終止符を打つ方法の一つが「祈り」なのかも知れません。
心から謙虚になり、手を合わせ、
大変な時代の中にありながらも、こうして生かされている事に感謝してみる。
いつも頑張っている自分から一転して、無力で小さな自分を受け入れてみる。
ほんの数分のことですが、
戦いとは真逆の世界に身を置く事ができるかと思います。
そして、心の奥にある固いものものが、スッと緩む感じ。
それが、現代における「祈り」と「癒し」の関係だと思います。

ですから、ご利益を期待して祈る場合は、日常の戦いの延長上になってしまうので、それによって、こころ休まる事はないかも知れません。

心に余裕がないとき、「小さな自分」を認めることは抵抗があると思いますが、
街を離れ、大自然の中に身を置いた時わかる「自分の小ささ」は、まぎれもない現実です。
普段は、社会や組織という枠組みの中で、自分の存在を大きく錯覚しています。
それに伴い、本当の意味での謙虚さは忘れている状態になります。

そんな中で、ほんのひと時であっても、祈りというものが、大切なことを思い出させる意味を持つのであれば、それは、豊かな事だと思います。

作り手の勝手な解釈ではありましたが、今回は、祈りと癒しについて書いてみました。
それぞれの柔軟な解釈で祈り雲をご活用いただけたら幸いです。