暖かい日が続いています

 

1月は色々と忙しくしてたら、あっというまに2月も半ばです。

世間は相変わらずコロナでバタバタとしていますが、近所の桜の木はもう蕾をつけ始め、いつもの年と変わらず、淡々とやるべきことをやっています。

蕾の膨らみ具合から見て、今年はかなり早咲きの予感です。昨今の気候変動には、桜の木も少し混乱しているのかもしれません。

"お天気の話題"というのは、無難なコミュニケーションのツールの一つでしたが、気候変動のおかげで、昔ほど無難ではなくなりました。「今日は暖かいですね~」と始まった話が、うっかり気候変動という、主義主張の絡むデリケートな領域に入ってしまうと、最悪の場合、関係がギクシャクしてしまうと思うので、気をつけています。。

さて、その気候変動。

近年になって、気候変動による自然災害の影響は拡大し、多くの人にとって無視できない身近な問題になってきました。

そして、その主な原因は私たちの経済活動によるものとされています。

温暖化が起きている起きていないの議論はいまだ熱いものがありますが、肌感覚としては、寒暖の差が激しくなったなと思います。最近まで氷点下の日もあったのに、今日は暖房なしの状態で室内温度20度でした。


人間が消費してきた石油の、およそ半分がここ30年に使われたという事実からみて、さすがに、使うペース緩めないと、どうにもならない様子です。

そんな中、先進国を中心に、SDGs(持続可能な開発目標)を掲げたり、テクノロジーを使って、この問題を乗り越えようとしています。

しかし、再生可能エネルギーが普及してきたとはいえ、化石燃料の消費が減っておらず、むしろ増えている事実などなど、実際のデータをいろいろ見てると、問題の解決がいかに複雑で難しいかが見て取れます。

なにより、気候変動によって一番被害を受けるのは、その原因を作っている先進国の私たちではなく、経済的に貧しい国に暮らす人々だというのは、あまりにアンフェアだなと思うところですが、何をやっても結局、中国や東南アジアなど発展の著しい国がたくさんCO2出しているから無駄、となってしまいがちです。

そんな中、なぜヨーロッパでは環境への取り組みが日本に比べ、桁違いに進んでいるのかを調べてみると、そこには、「climate justice(気候正義)」という聞きなれない言葉が出てきます。要するに、ここまで環境を荒らした責任はまず先進国の人間にあるのだから、自分たちから取り組みを始めるのは当然だという至極まっとうな論理。どうせ何やっても小さなものだから、というのは理由にならないという事ですね。

というわけで自分も、野菜は県内で採れたものを選ぶようにしたり、輸送に膨大なエネルギーを使っていると思われる輸入食品は避けたりしているのですが、個人レベルでできる事は知れているので、社会全体で抜本的な変化が必要だなと思うこの頃です。

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自然から素材をいただいている当工房の祈り雲は、神社の御札をお祀りするための神棚、御札立てです。

伊勢神宮を始め、多くの神社は、社殿というより、その裏に広がる森を祀るような造りになっていることからわかるように、神道は、自然への畏れや敬いが源流にあります。

素朴な仕事ではありますが、自然と人との関係が問われ、見直される時代の中で、意味ある仕事に育てていけたらと思っています。